心身の異変
寝る前に小腹が空いて、「身体に良くない。太ってしまう。」と分かっているのに、つい食べてしまうことがある。私の場合、「お腹が空いて眠れなかったらどうしよう」という思いから食べることを選択することが多いのだが、この「眠れなかったらどうしよう」は、眠れなければ次の日に響くからである。しかし、次の日が休みの日でも同じように「眠れなかったらどうしよう」と思ってしまう。
それはなぜ?
ある人との会話から、もしかしたらこれは子供の頃からの不眠症に関係しているのではないか?という話になった。
小学2年生の時に不眠症になった。子供の頃は「眠れない」と言ってよく泣いていた。「眠れない」と泣いても、母は仕事で疲れているため、相手にしてもらえなかった。子供ながらに母が仕事で疲れているのは理解できていたし、母を寝かせてあげたい気持ちもあった。しかし、眠れないと不安になる。泣いても助けてもらえないから余計に不安になる。どんどん時間が過ぎる。家族の中で起きているのは私だけ。不安で不安で仕方がない。寝ている母には申し訳ない気持ちいっぱいで、勇気を出してまた声をかけてみる。すると「もう、うるさい!目閉じてたら寝れるから。静かにして!」と怒られる。そして、また泣く。そうすると、祖母が「どうしたの?」と起きてくる。そして、私は祖母に「眠れない」と泣きながら言う。祖母が私をリビングに連れて行き、ホットミルクを入れてくれる。私が眠くなるまでずっと一緒に話をする。話の内容はいつも他愛もない話。そして、私は落ち着いてきて眠くなって寝る。
小学3年生くらいまでは、こういったことは日常茶飯事だった。小学4年生くらいになれば、眠れなくても泣くことはなく、漫画を読んだり、音楽を聴いたりして適当に過ごすことが出来るようになった。大人になった今でも不眠症のままでもう慣れてしまったが、やはり眠れない日が続くとしんどい。
この頃から不眠症以外にも異変が起き始めた。
私は父と母と暮らしていたが、諸事情により、私が小学生になるタイミングで母方の家族(曾祖母、祖母、叔母)と一緒に暮らすことになった。今まで3人しかいなかった家族が6人になり、私は嬉しくてはしゃいでいた。しかし、母方の家族との同居が始まってから2~3ヵ月で父は家を出て行った。元々、両親は不仲で、それまでにも離婚危機は何度かあったようなので、母方の家族と同居していなくても結果は同じだっただろう。正直、父のことはそんなに好きではなかったし、平日は朝早くから夜遅くまで仕事、休みの日もあまり家にいなかった。だから父が家からいなくなってもそれまでと差ほど変わりはなかったのだが、そんな父でもいなくなったらいなくなったで寂しかった。寂しさを感じる自分のことが不思議だった。母からは仕事の関係で父は別のところに住んでいると聞かされていたが、今思うと、物心がついた頃から両親の不仲を見ていたので、母の言葉を素直に信じている反面、無意識の中では「もしかしたらこのままもう3人一緒にはいられないのかも」という思いがあり、それが寂しさに繋がっていたのかもしれない。
その寂しさが喪失感へ、そしてそれはやがて空虚感や虚無感になっていった。
物欲がなくなったのも、不眠症を発症したのと同じ時期の小学2年生の時だった。母方の家族は割と裕福だったため、欲しい物は何でも買ってもらえた。両親と3人で暮らしていた頃は、欲しいものを買ってもらえるのは誕生日とクリスマスだけで、普段は何も買ってもらえなかった。なので、最初は普段から何でも買ってもらえることがとても嬉しかったのだが、自分が大好きな物に囲まれているのに何も楽しくない、ちょっといいなくらいに思った物でも何でもすぐに買ってもらえるのに、買っても買っても満たされなくなっていった。満たされないどころか、買えば買うほど寂しさや虚しさが増した。そして、「お金や物は私のことは助けてくれないんだ」と思うようになった。
学校に行きたくないと思うようになっていったのも同じ時期の小学2年生の時だった。学校で特に嫌なことがあるわけでもなく、学校に行きたくない理由も見つからない。なのに学校に行きたくない。考えても考えても分からない。「学校に行きたくないなんて言ったら、ママ心配するかな」と思っていたが、本当に学校に行きたくない日があったので、「学校に行きたくない」と勇気を出して言ってみた。
母「どこか具合悪いの?」
私「ううん」
母「何か、学校で嫌なこととか困ってることでもあるの?」
私「ううん」
母「そっか」
私「なんか、よくわかんないんだけど、疲れた」
母「疲れたの?何に疲れたの?」
私「わかんない」
母「体のどこかが疲れてるの?」
私「うーん、心?なんか、心が疲れた」
母「・・・!」
私「・・・」
母「それは大変。うん、今日は学校休もうね」
もう随分と昔のことだが、こんな感じの会話だったと思う。母も祖母も曾祖母も叔母もこの私の「心が疲れた」を否定もせずにしっかりと受け止めてくれたことに対して、その当時の私はまだ心にも病があることを知らなかったので、この出来事が意外で驚いた。それと同時に、「病気じゃないのに学校休んでもいいんだ」と安心したことを覚えている。
不仲な両親にいつも気を遣っていた私は、物心がついた頃から、何とかその不穏な空気を変えようと、何とかその場を楽しませようと、いつも明るくおどけてみせていた。父と母が少しでも笑ってくれるように。少しでも仲良くなってくれるように。「パパもママも幸せそうじゃないのは、もしかして私のせい?」そんな風に思うこともあった。子供の私は子供なりに出来ることは全部してきたつもりだった。でも、私の努力は虚しく、父と母は私が小学3年生の時に離婚した。そこからさらに私の心身に異変が起きていった。
小学生の間は、異変は主に身体に現れた。(①食べ物や錠剤が飲み込めない/飲み込んだら詰まって死んでしまうという恐怖心に襲われる ②片方の耳が聞こえにくくなる ③瞼や目の下がずっとピクピクする ④瞬きの回数が多くなる ⑤喉にずっと何かがつっかえている感じがして苦しい ⑥口渇/唾液が出なくて苦しくなる、など)
中学生になると、自分の中に違和感を覚えるようになっていった。「自分の中の何かがおかしい。何かの病気なんだろうか?」よくそんなことを考えていた。でもその違和感の原因が具体的に何なのか、よく分からなかった。それが何なのか知りたくてずっと気持ちが悪かったが、大人になって仕事や日々の生活に追われていくうちに、自分が抱えてきた違和感や生き辛さのことは放置するようになり、そのうち私の記憶・心の奥底にどんどん押し込まれ、とうとう見えなくなってしまうところまで来ていた。
何とかギリギリ間に合ったかな?
私は、今、自分がずっと抱えてきた違和感や生き辛さにようやく真剣に向き合っている。普段忙しくしていると思い出さないこと、もう忘れかけていること、そんなことを思い出しながら今までの人生を振り返っている。過去は過ぎたことなので変えられない。過去のことをクヨクヨ考えてもいない。自分の過去を振り返ることで様々な気付きがある。そしてそれは自分を取り戻すことにも繋がる。自分を取り戻すことによって私の未来は拓かれる。